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研究者総覧「情報知」

複雑系科学専攻

氏 名
井内 哲(いうち さとる)
講座等
物質情報論講座
職 名
助教
学 位
博士(理学)
研究分野
理論化学 / 計算化学

研究内容

溶液内における分子ダイナミックスの理論研究
電子状態理論や分子動力学法といった理論・計算化学の手法を用いて、溶液内や界面上の化学現象を分子レベルで理解することを目指して研究を行っている。特に、多数の分子間の相互作用をリアリスティックに記述する分子モデルを用いたシミュレーションを通じて、分子レベルでの機構を詳細に解明していくことを目指している。また、量子化学計算等に基づいて新規モデルを構築することにも興味を持っている。

[これまでの研究]
(1) 溶液内における多体電子分極効果に関する研究
分子動力学法は溶液・界面現象を理解する上で強力な計算方法であるが、そのためには従来の二体相互作用ポテンシャルモデルでは不十分であり、多体電子分極効果をあらわに記述できるモデルが必要であることが指摘されている。そこで、電荷揺らぎを表現するCharge Response Kernelを用いた水の分極モデルを開発し、例えば水素結合に関係する低周波数領域のラマンスペクトルの形状に関して、電子分極の効果が本質的に重要であることを示した。一方でforce-matching法を用いて、既存の分極モデルから分極効果を暗に組み入れた有効二体ポテンシャルモデルを探す可能性も検討した。一連の研究によって得られた分極効果の知見やモデル構築の指針を、今後、溶液内シミュレーションにおける分子間相互作用の記述に適用して行くことを考えている。

(2)
水溶液界面上のプロトンの挙動に関する研究
大気中や生体内では、親水
疎水領域の両方が関与する現象がしばしば見られ、その基礎的理解に向けて水溶液疎水界面に関する研究が重要と考えられている。本研究では、水中におけるプロトンの非局在化をリアリスティックに記述できるMS-EVBモデルを用いた分子動力学シミュレーションから、水溶液疎水界面におけるプロトンの挙動を詳細に解析した。自由エネルギープロファイルの計算を行い、界面上でプロトンが、H3O+の両親媒的性質を反映した特異的な構造をとってエネルギー的に安定化することで界面に凝集することを示した。

(3) 水溶液中の遷移金属イオンの電子励起状態に関する研究
溶液・生体内において、いくつかの異なる電子励起状態が関与するダイナミックス現象は考慮すべき要素が多く、詳細な分子レベルの理解が求められている。そこで、Ni2+イオン水溶液を対象に取り上げ、水溶液中におけるNi2+イオンの電子緩和の問題に取り組んだ。まず、有効ハミルトニアンの考え方を用いて、Ni2+水溶液の基底およびd-d励起状態を記述するモデルハミルトニアンを開発し、シミュレーションから電子吸収スペクトルの再現性を示した。さらにモデルを用いた非断熱動力学計算から、光励起後のNi2+三重項電子励起状態間の緩和ダイナミックスを追跡した。シミュレーションで示された光励起後の励起状態間での速いスケールの緩和過程と、最低励起状態から基底状態への遅いスケールの緩和過程は、実験結果と矛盾しないものになっている。この研究における分子モデルの設計指針は、様々な興味深い遷移金属錯体の電子励起状態に関しても適用が可能と考えられ、現在も研究を進めている。

[現在の研究と今後の展望]
これまでの研究を基に、主に溶液中における遷移金属錯体の光化学過程に関する問題に取り組んでいる。遷移金属錯体の複雑で多様な電子励起状態は、分子デバイスや光増感剤などの観点から注目されている。そのため、物質設計や制御指針に向けた分子レベルでの理解が望まれている。実際、実験研究では、いくつかの遷移金属錯体溶液の励起状態ダイナミックスに関して、サブピコ秒オーダーの速い緩和機構が調べられてきている。一方、理論計算化学の立場では、遷移金属錯体の電子構造の記述に高精度量子化学計算を必要とするため、動力学シミュレーションを駆使した励起状態ダイナミックスの研究が限られているのが現状である。そこで、遷移金属錯体の電子励起状態を扱えるリアリスティックな分子モデルの構築に取り組み、これまで理論研究では限られていたダイナミックス現象の解明を目指している。将来的には、モデルを用いた動力学シミュレーションを駆使することで、遷移金属錯体に特徴的なd-d励起状態や電荷移動励起状態における無輻射遷移、発光、振動緩和、エネルギー移動、熱散逸など、溶液内での種々の問題に取り組んでいきたい。

経歴

  • 2005年3月 京都大学大学院理学研究科化学専攻 博士後期課程修了
  • 2005年6月 米国ユタ大学 博士研究員
  • 2008年8月 京都大学大学院工学研究科 特定研究員
  • 2008年10月 京都大学物質—細胞統合システム拠点 特定拠点助教
  • 2009年4月 京都大学大学院工学研究科分子工学専攻 特定助教
  • 2010年4月 名古屋大学大学院情報科学研究科複雑系科学専攻 助教

所属学会

  • 日本化学会, 分子科学会

主要論文・著書

  1. S. Iuchi, A. Morita, and S. Kato, “Molecular Dynamics Simulation with the Charge Response Kernel: Vibrational Spectra of Liquid Water and N-Methylacetamide in Aqueous Solution”, J. Phys. Chem. B 106, 3466-3476 (2002).
  2. S. Iuchi, A. Morita, and S. Kato, “Electronic relaxation dynamics of Ni2+-ion aqueous solution: Molecular-dynamics simulation”, J. Chem. Phys. 123, 024505(1-11) (2005).
  3. S. Iuchi, H. Chen, F. Paesani, and G. A. Voth, “Hydrated Excess Proton at Water-Hydrophobic Interfaces”, J. Phys. Chem. B 113, 4017-4030 (2009).