<Marpha>

11日目:Marphaでの休息

 朝食には、アップル・パイ・ウイズ・カスタードとトマト・スープそしてポテト・オムレツを頼んだ。料理が来るまでには時間がある。ミルク・ティーを飲みながら日記をつけよう。
 ここの宿には数人の女の子がお手伝いとして働いている。今村さんが聞いた話では、食事と寝る場所の他には給料というものはほとんど無いに近いそうだ。ここマルファの子の他に、ポカラや遠くはローマンタンの方からきている子もいるらしい。彼女らはこまめにホテルの部屋や階段の掃除をしている。
 食堂のとなりは1階分低くなっていて家畜動物たち?のスペースになっている。ニワトリが石段をあがって声を上げたかと思うと、気が済んだらしくまた石段を降りていった。
 マルファの町は南北を弧を描くように通る街道を中心に石造り(*1)の家々が連なる。それらは2階建てか高くても3階建て程度の高さだ。ルーフ・トップ(屋上)のまわりにはフェンス代わりの薪?が腰の高さほどまで積まれている。街周辺は全部薪のために伐採したのではないかというぐらいに西側斜面ははだかになっている。

 アップル・パイのカスタードはウイズ・カスタードというのが嘘ではないといわんばかりの量でいささかくどいぐらいだった。
 食後これといってすることもなく、スケッチをとったり、すぐ近くのAREA POST OFFICEで切手を手に入れ絵葉書を出したりする。
 町を散歩しているうちに、雑貨屋さんでカミソリ(20ルピー)を売っているのを見つける。さっそくそれを買ってぼうぼうのひげを剃った。伸びたひげにはてこずったが野蛮人からの脱出だ。

 今日は天気が今一つで午後からはにわか雨が降ったりした。それでも間を見て町のなかにあるゴンパ(寺)や、町外れの高台を上ったりする。ゴンパの入り口は町の風景とは不釣り合いなコンクリートと鉄の門で、そこをくぐると長い階段を上ることになる。階段を上りきると町の真ん中にあって見晴らしがいい。しかし建物自体にはこれといったものがなく、なんとなく拍子抜けする。人はまばらで時折、欧米人を何人か見かけるくらいだ。
 マルファの町並みを撮ろうとカメラを構えていると欧米人の男が声をかけてきた。
 「いいカメラだね。」
 一眼レフだがあちこち旅先に持っていってくたびれているやつだ。別段カメラに造詣が深いわけでもない。英語以前にいい言葉が思い浮かばず、あいまいに返した。
 ゴンパの高さでは飽き足らず路地裏をどんどん奥の方へ上がってゆき、町の南西にある小高い斜面に行った。町全体を一望できる。この斜面の反対側も覗いてみたかったが稜線まではまだ遠い。あきらめて戻ることにした。宿に着く頃には夕食にいい時間だろう。

 食堂の大きなテーブルにはアメリカ人の一行が占めていた。他のテーブルも満席だ。欧米人=個人主義という見方からアメリカ人の「団体」というのが奇妙に思えたが、それが偏見というものだろう。
 夕食は、ガーリック・スープにチョウメンやフライド・ライス、アップル・ジュースといったところ。食事をしているとカウンターの前で踊りが始まった。ポーターやガイドをしているであろう若いネパーリ達が声をあげ調子をとり、それに合わせて一人二人が舞う。
 自分たちのために踊り楽しむ。いまでは盆踊りすら行かない自分にはうらやましく思えた。

 夕食の後、ペンマさんが飲みに行っている民家へ連れていってもらう。ここでヤクコマース(こま切れになったヤクの焼肉)とアチャール(キムチに似た辛い漬物)を食べたが、どちらもとてもうまい。酒のつまみにはもってこいだ。パクパク食いたかったが時間が遅く、停電で闇に沈む街路の中を宿まで戻った。
 心地よいこの町も明日には出発だ。

(*1): 薄く板状に割った石を積み上げていって四方の壁面をつくり、木材で床や天井をしつらえてある。壁面の室内側はしっくいか何かで平らにし、白くしてある。外側は積んだ石の壁面をそのまま白く塗ってある。

<12日目:Marpha(2670m)〜Ghasa(2010m)>


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