この時間帯に行動しているのは我々だけではない。数は少ないが先行のパーティや荷物を運んでいるネパーリなどを抜いた。
トレースの脇の雪面にこんな落書きがあった。「HAPPY HALLOWEEN」。通り過ぎた距離と時間、今日はもう11月だ。
2時間ほど歩いて茶屋のある地点に着く。他にポーターらしいネパーリなどが小休止をしている。石造りの小屋のその戸は閉ざされており、バハドールさんがドアをたたいて中の住人を文字どおり叩き起こす。すると寝ぼけ眼のサウジーがでてきたが、とてもお茶など飲めそうな様子ではない。動かずに待っている方が苦痛なのですぐ出発することにする。
夜明け。空が徐々に白くなり6時ごろ夜明けを迎える。背後を振り返れば稜線から太陽が昇ってくる。カメラを取り出し、シャッターを押そうとするが指先が痛い。首筋に手を入れ、鉄のように冷たい手先をなんとか温める。動かない指先をなんとか動かしてシャッターを切った。
トロン・パスにつくまではこんなイメージがあった。ガスのかかった視界の悪いなかで石塚と旗を発見し、ここが峠だと写真をとってすぐ下山するという。しかし、晴れた空がトレッカーや荷運びのネパーリに心地良いひとときを与えてくれる光景が今ここにある。
さらに予想だにしなかったことは、石積みの小さな小屋があり少年が茶屋をやっていたことだ。少年のうち一人はこの高度にまいっているのか寝込んでいたが、もう一人がお茶を出してくれた。彼らも季節アルバイトといったとこなんだろう。商魂というよりも、どこでも生きていくというたくましさに感服する。おかげでこちらは暖かいお茶にありつくことができたのだから。
朝方の気温の低さはザックの中に入れてあったペット・ボトルの水がシャーベット状に凍っていたことからもわかる。峠のひとときを満喫した後、ムクティナート(Muktinath)へ下り出したが、いちど解けた雪が凍ったらしくルートのあちこちで滑りやすい状態になっている。
ペンマさんはいわゆるずっくを履いてある程度の重さのザックを背負っての下りだが全然へいきである。
途中、廃虚に出くわす。屋根はなく崩れた石積みの跡がかつての建物を物語っている。ここで小休止を入れる。はるか向こうに見えるピークはダウラギリ(Dhaulagiri)だ。
さらに下ったところで茶屋に出くわす。チャバルブ(Charbarbu)で食事休憩。しかし風邪で調子の悪い自分は今村さんらが食事をとるのを横目に紅茶をすする。満腹でもないのにものが食えないのはかなりこたえる。
今夜はダサイン(祭り)だ。日が落ちてから祭りばやしと子供たちの一群があちこちのロッジをまわっている。夕食を楽しめない自分は窓から彼らを眺める状態だったが、食堂にいた今村さんは20ルピーをふるまったそうだ。欧米人は一切出してないという。彼らなりの考え方があるのだろう。
泊った宿だが比較的新しい建物で戸や天井、壁など造りがしっかりしている(壁は平らだ。わざわざ言うのも変だが)。24時間ホット・シャワーをうたっているが確認はしていない。3階の部屋や屋上への階段はまだ建設中といった状態になっている。他の大抵のロッジと同様、ここも屋上は自由に出入りできるようになっている。天気が良ければ洗濯物干しや日光浴にはうってつけだ。
寂れた聖地と思えたムクティナートにもダサインの中に思わぬ人の活気を見る。峠の西のこちら側にはまた別の世界が広がる。乾いた土の世界。閑散とした集落と水路を流れる水、そしてなによりも広がった視界。ロー・マンタン、果てはチベットという内陸の土地を空想させる。
ハイライトの次は別の世界を歩く楽しみが展開する。