朝食にティベッタン・ブレッドやガーリック・スープ、オニオン・オムレツを食べ、8時に出発。マナンの細い路地を抜けると、さらに上の方に別の集落がある。石積みの壁で固められたそれはまるで城塞のようでところどころからタルチョーがはためく。
左手にはアンナプルナの岩肌が雪化粧をし、山頂が雲間からちらりとのぞく。7000mの高度から見下ろす景色を思えば険しい尾根の登りに引かれるものを感じる。
天候は回復してゆき、体調も動いている間は風邪をまったく感じさせない。丘のようなルートを上る途中に一本の大きな木がある。振り返ればマナンの集落がみえ、さらにマルシャンディ側流域が広がり、そして山々がそびえる。
ルートは川面よりだいぶ高い位置を源流の方向へ進んでいる。樹林のような視界を遮るものがなく、インナー・ヒマラヤの景観は距離や時間を忘れさせてくれる。
茶屋があるたびに休憩し、休憩と水分補給に気を配る。そろそろ3700mを超したのではないだろうか。高度に対する不安はなく、久々に自分が今まで知らなかった景観に身をおく喜びをあじわっていた。そう、日本にはない景観なんだ。
11時半頃、ヤクカルカ(Yak Kharka:3980m)の宿に泊ることになった。
休憩の後、高所順応のために今村さんと北側の斜面を登る。斜面はなかなか急でぐんぐん高度を上げることができる。足元程度の高さの植物がまばらに生えている程度で、稜線まで上がってみようかと欲が出てくる。
40分ほど登るとヤクカルカの集落全体が(といっても数件だが)眼下にすっぽりはいるようになる。
ヤクカルカ(ヤクの集まる場所?)というだけあって、斜面にはたくさんのヤクが草をはんでいる。黒いやつに白黒まだらなやつ、野良なのかそれとも住人の誰かが所有しているのか、「所有」というのも変な話だが。
と、突然せなかや両腕、顔の側面がしびれだした。やばい!今村さんに声もかけずに駆け下りるようにロッジまで戻った。
顔のしびれはなかなかひかなかったが、ミルク・ティーを飲んでゆっくりしているうちに落ち着いた。今村さんはザックに忍ばせておいた色紙を出し、鶴の折り方をここの主人に教えている。これが結構うけている。意外に折り紙とかの手先の器用な文化がハイテク日本の秘訣かもしれない。最近は箸すら満足に持てないやつもちらほら見かけるようになったが。
高所順応の後は、2階の調理場兼食堂の部屋でくつろいでいたが、正直寒い。おまけに体を動かさなくなると風邪が活性化したのか、朝は喉の痛みだけだったのが鼻水が出るようになる。空気が薄い中、鼻づまりで窒息するんじゃないかと思うと心まで寒くなる。なんとかストーブ(兼かまど)に身をかがめ紅茶を飲んで暖をとる。
マナンで出しそびれた2枚の絵葉書だが、主人が2日後にマナンに買い出しに行くというので頼んだ。果たして日本に着くのだろうか?楽しみだ。
高所順応から帰った後はすぐシュラフにもぐりこみたかったが、今村さん曰く、眠ると呼吸数が減って高山病になりやすいらしいので2階のかまどにへばりついている。主人に女将、それに息子?、バハドールさん、ペンマさん、今村さん、みんなかまどのそばに暖をとりにくる。
我々の他には客はいないようだ。たまたまいないのか、欧米人はフェディ(Thorung Phedi)までいっきに行ってしまうのだろうか。
待ちに待った夕食。といっても空腹からではない。はやく寝たいのだ。オーダーは、ガーリック・スープ、ボイルド・ポテト、ミックスト・カレー。ガーリックとつくものは毎食頼んでいる。ミックスト・〜というのは便利なメニューだ。ベジタブルの他に肉も入っている(かもしれない)。とにかく何かしら期待をいだかせるものではある。