峠から先はなだらかな下りとなり、その先は開けた起伏の少ない行程となる。この辺りはマルシャンディ川の両岸が開けていて、この先のフムデには滑走路がある。街道のところどころがぬかるんでぐしゃぐしゃだ。日当たりがよくなってきて雪がとけたのだろう。
今日は天気がいいせいか、峠にあったようなチャー・パサル(茶屋)や仏像やナイフ、アクセサリーなんかを布に陳列して店を出している。この陳列商売はピサンより前では見なかった。彼らの商品はどこもほとんど同じようなものを扱っている。
マニ車を仕込んだ塀が道を左右に分けるように作られ、北側には何件かのロッジがならんでいる。ロッジは街道の北側に日当たりがいいように並んでいる。フムデでは今村さんの知り合いのサウジー(主人)の茶屋で休息をとった。サウジーは今村さんのことを覚えていて、今村さんも2年前に撮った写真を手渡していた。
フムデを出発する。まだ10時もまわっていない。日陰には所々かたくなった雪が残っている。ポリス・チェック・ポイントでは毎度のパーミットのチェックだ。駐在している警官が多いのは、ここに飛行場(というよりは滑走路)があるからだろうか?。
芝地のなだらかな斜面に馬がつながれている。白いのは雲と山の頂、空は青く日差しは穏やかだ。
やがて街道は登りとなり、石積みの塀が見えてくる。すると目の前に塔のようなものが現れる。集落の入り口で、石積みの台の上に屋根をのせた1mほどの球状の白いものがしつらえてある。
そこをくぐるとマナン(Manang:3540m)であった。
南にはアンナプルナの山肌がどーんと白く気持ちのいい景観がひろがる。日光浴もいいがマナンを少し出歩くことにした。
我々が泊ったゲスト・ハウスの周りは建物がまばらで新興といった様子だが、奥の方へいってみると家々が路地をはさんで並んでいる。2階まで石積みされた壁面に囲まれ、踏み固まれた雪が狭い路地の大半を占める。どの家もドアが閉ざされ、人の生活している気配が感じられない。
店を開いている人やおしゃべりをしている人たちや路地裏で遊ぶ子供たちに出会うことなく、家々の屋根からは竿にタルチョーがはためいていた。
帰りにヒマラヤン・レスキュー(Himalayan Rescue Association)を覗いてくる。入り口に張り紙があり、数日前の話の一部が確認できた。なんでも商用トレッキング・パーティ?に加わっていたポーターの一人がこの先で調子が悪くなり、引き返したがマナンにたどり着く前に息絶えたという。ポーターを雇う側の人間も彼らの安全に対する配慮を怠るなといったようなことが書かれていた。
高所順応に関する講習があるらしく、トレッカーたちが集まってきている。
トロン・パス越えの防寒対策に帽子と手袋を買っておく。ゲスト・ハウス1階の雑貨屋さんで両方で170ルピー。予想よりも安い。絵葉書も2枚買っておく(30ルピー)。雑貨屋さんの話ではここマナンにも郵便局はあるというが、散策したときには見つけることができなかった。
忘れないで欲しい。ここはカトマンドゥやポカラから車でこれるようなところではない事を。高山病の症状が重くなり緊急の処置が必要になっても、ヘリコプター(飛行機)が降りる場所まで移動しなければならない。たとえそこにたどり着いても天候さえ悪ければそれらは飛べないのだ。
この判断は十分な登山(高度)経験を持つバハドールさん、ペンマさんおよび今村さんというメンバーと彼らの経験を踏まえてのことである。
従ってもしあなたがこれから先の高度に馴れた人間でない限り、私もガイドブックと同様に最低2泊のマナン滞在を強く勧める。なぜならマナンは食事その他の面でこの先より豊かであり、かつ高所順応にいいコースがマナン周辺にあるからである(詳細はガイドブック参照)。