<Chame〜Pisang>

4日目:Chame(2670m)からPisang(3200m)へ

  吐息が白くなるほどの寒さ。幸い雨はあがっているが、今日は降られるかもしれない。
 喉が痛い。普段ならよほどひどくない限り薬は飲まないが、峠はまだ先だ。先手を打つ意味でも薬を飲んでおく。
 荷物のパッキングを終えると早めに食堂へいく。人はまばらだ。本を開いている男、むかいあって食事をとる男女がいる程度だ。 我々も窓のテーブルに席をとり朝食をだのんだ。ここの主人(昨日の女将のだんな)は片言の日本語を話す。ここで宿をやってくのに日本人観光客をあてにしてカトマンドゥで日本語を学んだそうだ。彼の思惑が外れたことは、宿泊客のほとんどが欧米人であることが物語っている。
 朝食にはベジタブル・フライドライスとポテト・スープを頼んだ。オニオン、ガーリック、トマトなどスープはだいたい毎食たのむ。フライドライスだが個人的にはチャーハンとは似て異なるものだと思ってる。じゃあ何が違うのか?と言われても困るが、あえて挙げてみれば水分が多く炊き上げのご飯に近いやつが自分のチャーハンのイメージだ。

 食事を終え8時前に出発。どんよりとした空模様、せめて雨だけは降らないで欲しい。

 道の端々にはところどころ雪が見られる。チャメ(Chame)からは特にティベッタン(Tibetan)の影響が大きくなったようだ。独特の旗(タルチョー)やマニ車を組み込んだ塀をどの集落でも目にするようになる。
Np97041.JPG  車の入らないこれらの集落への物品の輸送の多くはお馬さんがやっている。ロバに近い(*1)ような小柄でおとなしそうな馬で、背に左右にバランスよく荷物をのせ1〜3人程度の人が10頭前後の馬といっしょに移動している。その何頭かは首から20センチ程の大きさの鐘をぶら下げ、カラン・カランと低い音を響かせながら我々の横を通りすぎてゆく。
 人が乗馬している馬は荷運びしている馬よりも大きめで、普通に馬といえば想像するサイズだ。こっちには鐘ではなく鈴がついていた。

 ブラタン(Bhratang:2850m)には9時半頃到着。のんびりレモン・ティーをすすり10時前に出発。
 徐々に地面を覆う雪の範囲が多くなり、樹林の中など日陰になるところでは、雪面にできたトレース(踏み跡)を歩くようになる。天気は相変わらずどんよりとしているが、一時小雨が降った程度でもっている。
 ルートの先にどーんと大きな壁が立ちはだかってきた。マルシャンディ川北側の斜面、草木の茂らないむき出しの岩盤が広がり、上の方は雪に覆われ稜線と曇り空との境界があいまいになっている。ローラー・スケートでも降りられそうなその壁のスケールはまさにヒマラヤだ。
 11時半頃ピサン(Pisang:3200m)の手前の集落で休憩を入れる。昼食はピサンでとることにし、紅茶と腹の足しにネパール・ビスケットをほおばる。15分ほどで出発。ここから先は谷が広くなり、アップダウンの希薄な道を進み、ピサンには12時20分頃に着いた。

Np97045.JPG

 今日の宿は3階建てのコの字型の建物で、1階が調理場や食堂、雑貨屋になっている。2階の<部屋>に泊ったが、上階の足音や隣部屋の話し声は筒抜けなのはここもいっしょである。ドアの造りはしっかりしているが、建ててから日が浅いせいか上でドンドンされると壁際のしっくい?が降ってくる。

ピサン(Pisang:3200m)での半日

  下の食堂へ行って昼食を頼む。とにかく寒い。昼間なのに日が照っていないとこうも寒いのか? 汗だくの数日前との差から、なおさら寒く感じるのかもしれない。ストーブの前で縮こまる。
 近くの広場ではヤクを解体している。臨時の肉屋さんがオープンした状態でけっこうな人だかりだ。
 昨日のタフガイなスイス人も同じ宿だ。彼はアッパー・ピサン(UpperPisang:3300m)から北よりのルートをとるという。アンナプルナのトレッキング・ルートは余さず歩くつもりのようだ。
 我々の他にトロン・パス(Thorung Pass)越えを目指している日本人がいた。会社をやめて結構あちこち歩いているという40代くらいのトレッカーだ。彼はガイド兼ポーターのネパーリと二人で来ている。このガイドは日本語は堪能だがインテリといった感じで、トレッキングのガイドも初めてだという。ガイドを頼んだ日本人の方が体力的にタフだ。
 このインテリガイド・日本人パーティやタフガイ・スイス人、他にタール(Tal)で見かけたスタローン(似)とは抜きつ抜かれつちょくちょく顔を合わすことになる。

 ガイドを頼む上で重要なことは”体力”と”情報”の2点だろう。ルートにもよるが高度があるルートを歩く場合、ガイドがタフでないと他人の心配までしなければならない。ガイドが体調を崩してトレッキングを中止にせざるを得なくなったりしたらそれこそ本末転倒だ。
 体力というのはトレッキングのパートナーとして最低限の条件だが、情報というのはガイドに期待する能力といえる。例えばここのルートでは川沿いに進むため道に迷うことはまずないが、川の右岸・左岸のどちらを進むかはガイドの判断に頼ることになる。地滑りなどでルートが遮断されていれば手前の橋で対岸に移らなければならないからだ。
 その点バハドールさんはガイドの経験がものをいうのか、来た道を引き返すような状況になることはまったくなかった。バハドールさんやペンマさんは小休止のときに同じ木陰で休んでいるネパーリたちと言葉を交わし、そこで情報を仕入れるわけだ。
 情報の中には、先のルートの様子や伝わってきた噂のようなものもある。その噂でガイドとそのお客(日本人らしい)がトロン・パスで、またマナン(Manang)でポーターが一人死んだというのを聞いた。口伝えだが情報が伝わるのは早い。

 気温が下がったせいかドゥ・チャ(ミルク・ティー)がうまい。風邪の兆候がある。食後に薬を飲んでから寝る。

(*1): ここのはロバというよりは馬だと思う。以前中国でみたことのあるロバは童話の絵本にあるようなそのものだった。

<5日目:Pisang〜Manang>


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