朝6時過ぎにガイドのバハドールさんがタクシーで迎えに来た。年齢は30歳前後で、トレッキングや登山の場数もそれなりに踏んでいるようで頼もしい。日本語も流暢に話す人だ。
ラジンパト(Lazimpat)通りを北上し、北郊外にあるバスターミナルに向かう。途中、コンクリートの壁に囲まれた目立つ建物の前を通過した。「日本国大使館」とかかれたその建物は塀の高さ以上に日本の遠さを感じさせる。
タクシーを走らせていると二人乗りの二輪が反対方向から来てすれ違った。どうやら後ろに乗っているのはポーターのペンマさんのようだ。後ろに走り去った二輪を呼び止めてタクシーに同乗、今回のトレッキング・メンバーがそろった。
バスターミナルには、カトマンドゥとネパール各地を結ぶバスとそれを利用する人々であふれていた。我々の乗ったバスは欧米人のトレッカー、ガイドらしきネパーリ、そして一般の利用者といった客層で、当然のごとく満員で7時半にターミナルを出た。天気はいまいちで小雨が降りそうだ。
ネパールで走っているバスやトラックはほぼTATA製で、TOYOTAは四駆や普通乗用車で見かける程度。乗用車といっても日本では博物館でしかみれないような形式の車も現役だ。
我々のタタ(TATA)・バスのバンパーにはSPEED 40KMと書かれているが一種の交通安全のおまじないのようなものだろうか? とても40kmで走っているとは思えない。
一時間ほど走ってドライブインで<朝食>となった。ドライブインといっても日本のそれを想像してはいけない。
カトマンドゥ〜ポカラ間は、日本でいう東京〜大阪間のようなもので、舗装された道路にはバスやトラックが乗用車より多い。橋はあってもトンネルがないので山の斜面や川沿いをくねくねと上り下りするようにして進んでいく。勢いあまったバスが谷底におっこったなんて話を以前きいたことがあるが、今でもあるのだろうか。
10時半頃、<ムグリン>(Mugling)に到着。カトマンドゥとポカラの中間ぐらいにあり、ここは道路を行き交うバスの乗客相手といった感じの店がならんでいる。
ここで昼食をとった。メニューは4人仲良<ダルバード>(ネパールの定食のようなもの)である。バハドールさんとペンマさんは右手で器用に薄いカレー汁?をご飯とまぜ、口に運んでいく。
再び出発したバスはドゥムレ(Dumre)でカトマンドゥーポカラ・ハイウエイ?を離れると雨でぬかるんだ道に入りバスのゆれがひどくなった。しばらくゆくと前後左右のゆれがはげしくなりときおり上下のゆれも加わる。すると「ざぶん」とバスは川の中にはいり、そのまま渡ってゆく。川を渡る前後はとくにゆれがひどい。こんな状態がベシサハールまで続いた。自分が乗り物酔いをしない人間でよかったとつくづく思う。
途中、2個所でトレッキング・パーミットのチェックがあった。チェック・ポイントには駐在所のようなところに警察関係か軍人であろうひとが1〜2人いる。我々外国人はトレッキング・パーミットを見せ、名前やパーミット・ナンバーなどを置かれているノートに書く。するとトレッキング・パーミットにスタンプとサインをくれてO.K.ということになる。
15時半頃ベシサハールに到着した。
明日からは自分の足が移動手段だ。ベットにシュラフ(寝袋)をひろげ19時頃には横になった。