2013年8月12日時田恵一郎 教授(複雑系科学専攻)2013/4/1着任
2013年4月に着任しました時田恵一郎です。東京生まれですが、3歳から大学院の途中まで千葉で育ちました。3、4歳の頃から網と虫かごを持って駆け回っている子供だったようです。蝶を追いかけてはしょっちゅう迷子になっていたらしいのですが、周りの大人の方々には「網と虫かごの子」と認知されていたらしく、家に連れて帰ってもらえたようです。小学生時代も昆虫採集と飼育に夢中でした。小学校4年生の時に、夏休みの自由研究で行った「アリの研究」が千葉市科学賞を授賞しました。
大学は物理学科に進みましたが、生物、脳、認知心理学、コンピュータなど物理以外にも興味があったので、授業は色々なものに出ました。どの研究室に入るかを考えていたとき神経ネットワークのモデルを統計力学を使って解析するという論文に出会いました。脳や神経は生理学などの分野だと思っていたのに、物理・数学で脳が扱えるんだ、と驚きました。それが複雑系科学との出会いでした。
脳もそうですが、個々のものは非常に単純な働きしかしなくて単純な式で記述できるのに、数が増えるとその全体は非常に複雑な振る舞いをする、そういうものがこの世界にはたくさんあります。生態系、細胞内の代謝系、免疫系、生体高分子、神経回路網、組み合わせ最適化問題、経済システムなどの複雑系がその例です。非線形力学、統計物理学、計算物理学などの手法を用いて、それらを数理的に理解しようということをやっています。これらの対象は一見全く異なる研究分野なのですが、比較的単純な素子が多数集まり、複雑な相互作用で影響しあうことにより創発するマクロな現象という点で数理的に密接な関係があります。これらを統一的な視点で眺めることにより逆に個々の理解が深まるという場合が少なくありません。統計力学を用いた解析的なアプローチからスーパーコンピューターやPCクラスターを用いた大規模シミュレーションまで、様々な手法を駆使して新しい研究領域を開拓しようとしています。
現在は、物理学の視点から生態学の研究を行っています。生態系には、典型的な複雑系の一つとして、その種構成などといったシステムの詳細に依らない、普遍的な性質が見出されます。そのような普遍的な性質が現れるメカニズムを知ることが、生態学研究のみならず複雑系一般の性質の理解に寄与し得るのではないかと考えられます。生態系で観測される普遍的性質のうちでも、最もよく調べられてきた古典的なものの一つに、「種の豊富さのパターン」があります。生態系を構成する様々な種の個体数を大きい順に並べてプロットしてみると(Rank-abundance分布)、場所も構成種も全く異なる様々な生態系に共通して、ある特徴が見られます。これに対しては色々なモデルが提案されていますが、実際の観測データとの比較をめぐって今でも論争が続いています。
わたしは、レプリケーター方程式などの一般的な群集動態モデルを用いて、単純な仮定と少ないパラメータから種の豊富さのパターンが見出される条件を調べています。最近では、ランダム系の統計力学の方法を用いて、生態系の生産力や成熟度、個体数変動の恒常性の度合いなどに関係する単一のパラメータと種の豊富さのパターンの関係を導きました(図1)。これまでにも様々なモデルが提案されてきていますが、捕食・被食、競争、共生などの複雑な種間相互作用をもつ多種系に対する種の豊富さのパターンが、この研究において初めて解析的に得られました。
図1 ランダム群集モデル(対称ランダム相互作用行列)に対して解析的に導かれたRank-abundance分布。pは群集の生産力や成熟度に関係するパラメータで、pが小さい場合は極地などの厳しい環境、もしくは未熟な群集に対応し、pが大きい場合は、熱帯など種数の多い群集に対応します。
Rank-abundance分布は、ある個体数をもつ種が何種いるかという「種個体数分布」と相互に変換可能な関係にあり、典型的な種の豊富さのパターンは、種個体数分布が対数正規分布に近い形になることと関係しています。対数正規分布は、生態系以外にも、細胞内蛋白質の個数の分布などの様々な複雑系において見出されているので、ここでの研究をより広い文脈での複雑系の理解に結びつけられるのではないかと考えています。
そのような、生態学以外で最もよく知られる種の豊富さのパターンのひとつが「Zipfの法則」です。Zipfの法則とは、ある物の分布がベキ分布、特に指数が1のベキ分布に従うことを示す経験則です。19世紀後半以降都市人口分布などがベキ分布に従うことなどが指摘されていましたが、ハーバード大学のG. K. Zipfが書籍中の単語の出現頻度が指数のベキ分布になることを指摘して以来、他の様々なものに対しても成り立つことが発見され、そのメカニズムが研究されてきました。
図2は書籍中の単語頻度にみられる、最も有名なZipfの法則の例です。縦軸は各単語の出現頻度、横軸は単語を頻度順に並べたときの順位です。上からシェークスピア戯曲集、種の起原第6版、失楽園、タイムマシーン、不思議の国のアリスにおける単語の頻度分布を表しています。英文電子書籍データは、Project Gutenbergよりダウンロードしました。
図2 Zipfの法則の例
私たちは、生態学において研究されてきた、島の面積と種数の関係(種数面積関係)とベキ型の種の個体数分布との関係を調べる過程で、ベキ指数が種の多様性に関わるある関数を最大化する点に相当し、それがある種の相転移に関係することを見出しました。この結果は、単語、人口、苗字、細胞内の分子など、Zipfの法則が成り立つ例として知られる様々な分布する実体の持つ性質の詳細に全く依らない、分布関数と種数面積関係の一般的な関数関係から解析的に導かれたものです。
ベキ分布を導くメカニズムについてはたくさんの研究がありますが、なぜその指数が1に近い値になることが多いのかについては一般的な研究はほとんどありません。ノーベル経済学賞受賞者にして、人工知能研究でも知られるH. Simonのモデルはその数少ないものの一つです。わたしたちは、主に単語の分布を念頭においているSimonモデルを、島の生態系などの、より一般的な群集に適用可能な形式に拡張したモデルを解析しています。
このように、生物の進化ダイナミクスの概念が生物以外の複雑系の解析に用いられるようになってきました。例えば、情報や知識を進化する実体と捉える考え方があり(「ミーム」と呼ばれます)、そのような人間の社会の中で生まれ、多様化して、消えていく社会物理学的対象として、言語の進化モデルの理論的研究も行っています。ここでもランダム系の統計力学の方法を使うことにより、同一言語内での情報伝達効率と異なる言語間の情報伝達効率の比をパラメータとして、複数の言語が共存する相から単一の言語が社会の中で優占する相への「相転移」が起こることなどを見出しています。
世の中にはまだまだたくさんの謎が、みなさんに発見され、解明されるのを待っています。上記のような既存分野の垣根を飛び超える研究には、若い柔軟な発想が必要です。学生さんや多彩なスタッフの皆さんとの議論を通じて、今後も様々な複雑系の「点をつなぐ(©Steve Jobs)」試みを続けていきたいと思っています。そのような「知的冒険」を一緒に楽しんでみませんか。